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hinasoyo blog

働き方論から恋愛論まで。日々の雑感も含め、専門領域を超えて幅広く発言して行きます。

“前前前世”という言葉を手に入れることで、 怨念ではなく「運命」を描くことができた。


 前回に引き続き、映画『君の名は』がらみの話題である。主題歌として大ヒット中、RADWIMPSの「前前前世」について書いてみたい。僕自身は、まだ細部に自信はないものの、すでにカラオケでも3回ほどトライした曲だ。
 この“前前前世”というタイトルが、すごい!作詞作曲を手掛けた野田洋次郎さん、やるね!と、素直に思った。
 一見、“すぐに思いつく”のではないか、と感じる人もいるかもしれないが、そうそう考えつくものでは、ない。
 この曲は(そして、それを主題歌としてヒットした映画も)、野田さんが“前前前世”という言葉と考え方を手に入れた時点で、サクセスへの道を歩み始めたのだと思う。

 

 これがもし“前世”という言葉だったら、どうだろうか?

 

 いくら歌詞の他の部分を若者風にしておシャレにしようとしても、語られることは“怨念”の様相を帯び、流れて来るメロディは、演歌調の匂いをまぬがれない。「心が身体を追い越してきたんだよ」というフレーズも、“身体、うらはら”みたいになり、「銀河何光年分かの果てに出逢えた」は、“山が燃える”的になりかねない。

 

 しかし、野田洋次郎は、“前前前世”という言葉と考え方を手に入れた。

 

 その途端に、描かれるものは「運命」になった。怨念とか引きずる想いとか四七抜きとか、ずっしりと重たい古臭く感じられるものが、一層された。途端に、映画で描かれたのと同じ、「気づきにくいが気づくべき、素晴らしき運命」が、違和感なく歌われることとなった。

 

 言葉(新しい言い方)と考え方や捉え方がセットになってやって来る。そして、それが、作られるもの全体の仕上がりを決める、規定する。これは、広告ビジネスでは日常的に経験することだ。
 そしてまた、この“前前前世”という言葉も歌も、本編にインスパイアされて生み出されたものだろう。ある意味では、映画本編に含まれていたエッセンスを、野田洋次郎さんが、ミュージシャンとしてのたぐいまれなる才能で、「楽曲という形に定着させた」とも言える。
 いい曲だ。映画のラストの曲「なんでもないや」も、好きだけど、ね。

 

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