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hinasoyo blog

働き方論から恋愛論まで。日々の雑感も含め、専門領域を超えて幅広く発言して行きます。

浪漫派オジサンが映画『君の名は。』から受け取った、 2つのメッセージとは?


 ここで言う「浪漫派オジサン」とは、誰あろう、僕自身のことだ。
 
 周りやネット上の発言を見ていると、どうも年配の男性は総じて、「『シン・ゴジラ』は良かったけど、『君の名は。』は無理、パス。」という人が多いように思う。自分は『シン・ゴジラ』も観てとても面白かったのだけれど、こともあろうに、『君の名は。』にも、大いに魅かれたのだ。「ま、流行り物に一応触れておこう」くらいの気持ちで観たにもかかわらず・・・。
 
 “一種の会議映画”という側面を持つ『シン・ゴジラ』に反応したのは、自分の中のビジネス派オジサンだったり社会派オジサンだったのだが、『君の名は。』に反応した自分は何だったのか?それは、年齢が行っても(気持悪いかもしれないけれど)ロマンチックな心性を捨て切れない、いわば「浪漫派オジサン」部分だったのではないだろうか。
 
 さて、僕が『君の名は。』を良いと思えたのは、自分があの映画から受け取ったメッセージに共感できたからだ。僕が受け取ったメッセージは大きく2つあるのだが、ネタバレにならないように気をつけながら、紹介して行こう(ほんの少しネタバレあり)。
 
 メッセージの第1は、「奇跡のような出会いは多くの人に起こり得る」ということ。そして、第2は、「しかしながら、その奇跡のような出会いを、きちんと認識して手に取るのは大変に難しい」というもの。この第1と第2の要素の掛け算と、ラッドウインプスの楽曲で、奇跡のような出会いについての“切なさ”も存分に描かれている。
 
 そもそも、こんなにも多くの人が存在する中で、自分も相手を良いと思い相手も自分を良いと思ってくれる恋愛や結婚は、「奇跡のような出来事」だと、僕は素直に思っている。友人知人を見渡してみても、「そこだったか!?」というピンポイントで、出会って、上手く行っている人は少なくない。
 
 しかしながら、その「奇跡のような出会い」の萌芽がそこにあっても、上手く生かせないケースも少なくないように思う。映画では「名前を憶えていられない」という形で、この難しさ、そしてそこから来る切なさが描かれている。
 
 このことは、何も男女の出会いに限らない。友人であれ、職業であれ、会社であれ、プロジェクトであれ、偶然の重なり合いとも言える「奇跡のような出会い」は人生にしばしば訪れるのだが、それをきちんとつかみ取るのは難しい。
 
 僕自身の例で言えば、6年前に広告代理店勤務から大学教員に転身する際に、幾つかの「奇跡のような出会い」と、それを「認識して手に取る」ことが行われた。
 
 上記のようなことは、よく言われるセレンディピティ(偶然に出会う力 / 偶然を生かす力)にも通じるものがあると思う。また、キャリア論におけるプランド・ハップンスタンス(計画的偶然性)理論も想起される。これは、スタンフォード大学クランボルツ教授が提唱しているもので、キャリアは多く偶然性に左右されるが、それでも大きな意味での計画性を持ち、偶然性を乗りこなすような感覚で進むのが良い(僕の言い方です)とされる理論だ。
 
 というわけで、『君の名は。』は家族4人(奥さんと高3の息子と中1の娘と)で観たのだが、家族の中で僕がいちばんウケていた。
 
 つまり、僕はきっと、「浪漫派オジサン」なのだと思う。

 

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